マルティニーク島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 20:22 UTC 版)
「ポール・ゴーギャン」の記事における「マルティニーク島」の解説
1887年、ゴーギャンは、パナマを訪れた後、6月から11月までの約半年、友人のシャルル・ラヴァルとともに、マルティニークのサン・ピエールに滞在した。ゴーギャンは、パナマ滞在中に破産し、当時のフランス法に従い、ラヴァルとともに、国の費用で本国に戻ることになった。しかし、2人は、マルティニークのサン・ピエール港で船を降りた。この下船が計画的なものだったのか、突発的なものだったのかについては、研究者の間で意見が分かれている。初め、2人は原住民の小屋に住んで人間観察を楽しんでいたが、夏になると暑く、雨漏りがした。ゴーギャンは、赤痢とマラリアにも苦しんだ。マルティニークにいる間、彼は12点前後の作品を制作した。戸外の情景を明るい色彩で描いたものである。島内を旅行して回り、インド系移民の村も訪れたと思われるが、彼の後の作品にはインド的モチーフが取り入れられている。 『マルティニークの風景』1887年。スコットランド国立美術館。 『林の中の小屋』1887年。個人コレクション。 『海辺II』1887年。個人コレクション。 『池』1887年。ゴッホ美術館。 『熱帯の立ち話』1887年。個人コレクション。 『マンゴー摘み』1887年。ゴッホ美術館。
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