マリインスキー入団後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 23:30 UTC 版)
石井は2013年9月に、日本人として初めてマリインスキー・バレエに入団した。通常、バレエ団への入団当初はコール・ド・バレエの一員として舞台に出るが、石井の場合は最初から少人数で踊る役やソリストクラスの役を任された。石井は「もっときれいなロシア人がいるのに私を採用してくれた。期待されていることが分かる」と語り、「絶対に、ちゃんと踊れるようにならないと、すごく焦ってます」と続けていた。 入団後の石井には、マルガリータ・クリークが指導者となった。クリークは1990年代にマリインスキー・バレエで多くの主役を務め、後に指導者となってキミン・キムなどを育てていた。 入団して2シーズン目のイタリアツアー中に石井はひざを痛め、片脚で立つことさえできなくなって2日目で降板することになった。不安のあまり毎日泣いてばかりだった彼女を救ったのは、周囲にいるロシア人の考え方であった。「治して復帰すればいい、けがをしないように気をつけるが、してしまったものは仕方がない」という前向きさが、落ち込んだりくよくよ悩みがちだったりの彼女に好影響を与えた。 石井は2015年の読売新聞とのインタビューで、マリインスキー・バレエでの初舞台の日や演目について「覚えてないんです」と答えていた。「いっぱい踊ったし、リハーサル回数が少ない。何をやったのか、3日前のことも覚えてません」と語っている。この言葉には、プロのバレエダンサーにとって舞台こそが練習場であるという意味を含んでいて、彼女も「2回、3回目になるとよりよく踊れている自信があります」と述べていた。 マリインスキー・バレエでは『愛の伝説』、『ドン・キホーテ』などでソリストクラスの役を踊った。2015年には、マリインスキー・バレエの日本公演で『愛の伝説』と『白鳥の湖』に出演を果たした。 2020年3月、2019年新型コロナウイルス感染症の世界的流行により、ロシアから一時帰国。同年8月、マットピラティスインストラクターの資格を取得。同年中にロシアに戻っていたが、12月にコロナウイルスに感染し、緊急入院。後遺症(線維筋痛症)が残り、療養とリハビリのため帰国している。 2022年1月、石井久美子バレエプロジェクト株式会社を設立した。自らのメソッドを体系的に構築し、プライベートおよび少人数のグループレッスンを開講している。
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