マティツィニー街の壁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 07:15 UTC 版)
「ウースチー・ナド・ラベム」の記事における「マティツィニー街の壁」の解説
ウースチーは、1990年代後半に全長150メートルの壁をマティツィニー街に建てたことで悪名高かった。家族で住む家と、他人をごまかして住む人間の借家とを離すためであった。後者が主にロマ人の家であったことから、国際的な人種差別スキャンダルに発展した。市長ラディスラヴ・フルシュカは地元の大家に1998年9月下旬に壁が完成すると表明した。外国のマスコミが調査のためウースチーへ到着し、彼らは市会議員から『壁は人種を隔てる意味はないが、普通の市民を通りの反対側から聞こえる騒音やつまらないものから安全にしておくためだ。』と説明した。 9月、市は4メートルの防音壁を1.8メートルのセラミック・ブロック製壁に変更すると発表。子供の遊び場が借家群の正面に建設された。これらの転換にもかかわらず、ロマ人政党と首相代理ヴラジミール・シュピドラは建設に声高に反対した。壁はアメリカ合衆国下院議員クリス・スミスに批判され、欧州評議会からの代表団は人種差別主義者として壁を揶揄し猛烈な解釈をおこなった。 新たな計画による壁建設計画が始まり、1999年10月5日に工事が始まり、13日に完成された。体を張って壁建設に反対するロマ人が50人集まり、人間の壁を作った。国内と海外から圧力を受け、すぐに市は壁の撤去を決定。完成から6週間後に壁は壊された。 スロバキアの都市プレショフには公式に、2005年同じような壁が建設された。
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