マズダクと支持者への迫害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 00:03 UTC 版)
「カワード1世」の記事における「マズダクと支持者への迫害」の解説
520年代までに改革が進行していたため、カワード1世はもはやマズダクを利用することはなくなり、公式にマズダク教への支援を停止した。ゾロアスター教の聖職者だけではなく、キリスト教とユダヤ人の指導者においてもマズダクとその支持者を非難する議論が行われた。中世ペルシアの詩人フェルドウスィーによって数世紀後に著された『シャー・ナーメ』(王の書)によれば、カワード1世はマズダクとその支持者を後継者のホスローの下に送った。最初にマズダクの支持者が壁に囲まれた果樹園に足だけが見える状態で頭を埋められて殺された。その後にホスローは自分の庭を見るためにマズダクを呼び寄せてこう言った。「古代の賢者の言葉からはもちろん、今まで誰も見たことも聞いたこともない木々を見ることになるだろう」。マズダクは支持者たちの死体を見ると悲鳴をあげて気絶した。その後ホスローはマズダクの足を絞首台に縛り付け、部下に矢を射させて処刑した。(この物語の信憑性についてははっきりとしていない。フェルドウスィーはシャー・ナーメを執筆するにあたって非常に早い時期の記録を使用していたため、物語は何らかの形で当時の記憶を反映しているであろう)
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