マズフシェ公家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 03:55 UTC 版)
「マゾフシェ・ピャスト家」も参照 コンラト1世の3男、シェモヴィト1世を祖とする。この公家はワルシャワを含むマゾフシェ一帯を治め、ルーシ・リトアニア諸国と頻繁に婚姻を結んだ。例えば、シェモヴィト1世の息子であるボレスワフ2世はリトアニア大公トライデニスの娘と結婚し、その2人の息子であるトロイデン1世はハールィチ・ヴォルィーニ公ユーリ1世の娘マリアと、ヴァツワフはリトアニア大公ゲディミナスの娘エルジェヴィータ(カジミェシュ3世の妃アルドナの姉妹)とそれぞれ結婚しているのである。トロイデン1世の息子であるボレスワフは、ユーリ2世としてハールィチ・ヴォルィーニの公位に就いている。 ヴァツワフの息子であるシェモヴィト4世はカジミェシュ3世亡き後、その血筋に近いことからポーランド王位の獲得に野心を示したが果すことが出来なかったが、娘のツィンバルカはオーストリア公エルンスト(鉄公)に嫁いでおり、神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世を儲けている。 マゾフシェ公家は1526年のヤヌシュ3世の死を以て断絶した。ヤヌシュ3世は「最後のピャスト」と呼ばれるが、これは適切ではない。
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