ボイシー・シング 20世紀の海賊
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「カリブ海の海賊 (歴史)」の記事における「ボイシー・シング 20世紀の海賊」の解説
ジョン・ボイシー・シングは、通常「ラジャ」、「ボイシー」、「ボイシー・シング」などと呼ばれ、1908年4月5日に、トリニダード島ポート・オブ・スペインのウッドブルックで生まれ、1957年に姪のハッティ・ワーク殺害容疑で、ポート・オブ・スペインで処刑された。 海賊や殺人者になる以前にギャングや賭博師として長く成功した経歴があった。1947年から1956年のほぼ10年間、シングとそのギャングはトリニダード島とベネズエラの間の海域を荒らしまくった。約400人を殺したとされている。トリニダード島からベネズエラまで船で運ぶと約束し、その途中で銃を突きつけて犠牲者から金品を奪い、殺して海に投げ入れた。 トリニダード・トバゴの人々にはよく知られている。あやうく国外追放になるところだった住居不法侵入の告発はうまく逃れたが、3番目の裁判である姪の殺人罪で有罪となり処刑された。住民大半の畏怖と恐怖の対象となり、1950年代初期には明るくスタイリッシュな服装でポートオブスペイン周辺を堂々と歩き回っているのが度々見られた。母と乳母が告発者に警告して「行儀良くしな、さもないとボイシーが捕まえに来るよ!」と言っていた。
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