ボイシ州立大学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/08 14:58 UTC 版)
旧称 |
Boise State College (1969–1974) Boise College (1965–1969) Boise Junior College (1932–1965) |
---|---|
モットー | Splendor sine Occasu |
種別 | 公立大学 |
設立年 |
1932 – junior college 1965 – four-year college 1969 – state college 1974 – state university |
資金 | $83,399,459 |
学長 | Robert W. Kustra |
プロヴォスト | Martin E. Schimpf |
教員数 | 623 (Autumn 2013)[1] |
学生総数 | 22,003 (Autumn 2013)[1] |
学部生 | 18,982 (Autumn 2013)[1] |
大学院生 | 3,021 (Autumn 2013)[1] |
所在地 |
U.S. アイダホ州ボイシ |
キャンパス |
都市 175エーカー (0.71 km2) |
スクールカラー | Orange and Dark Blue |
運動競技 |
NCAA Division I
|
スポーツ | 17 varsity teams |
ニックネーム | Broncos |
マスコット | Buster Bronco |
公式サイト | boisestate.edu |
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ボイシ州立大学(英語: Boise State University)は、アメリカ合衆国アイダホ州ボイシに本部を置くアメリカ合衆国の州立大学である。1932年に設置された。 190以上の専攻分野から201の学位を提供し、19,000人程の学生が在籍する、アイダホ州において最大規模の高等教育機関である。ボイシ州立大学は1932年に米国聖公会によって設立され、1934年に大学機関として独立した。U.S. News & World Reportのランキングによると米国トップ100に入る修士大学とされている。稀にボイジー州立大学とも記されるが、正しい発音は"BOY-see"、であり原音により忠実な日本語表記はボイシ州立大学、またはボイシー州立大学である。
歴史
- 1932年 米国聖公会によってBoise Junior Collegeが設立される。
- 1934年 米国聖公会から独立。
- 1940年 本部キャンパスがSt. Margaret’s Hallから現在の位置へ移動。
- 1969年 Boise State Collegeへ名称変更。
- 1974年 Boise State Universityへ変更。
組織
以下8つの学部(College)によって組織されている。
- Arts and Sciences
- Business and Economics
- Education
- Engineering
- Graduate Studies
- Health Sciences
- Social Sciences
- Public Affairs
キャンパス
本部キャンパスは、ボイシ川を挟みジュリア・デイヴィス公園の正面に位置する。ボイシ空港からバスで10分、ダウンタウンへは徒歩圏内であり、アクセスに優れている。広大なキャンパス(708,000 m²)は、緑豊かであり、赤レンガを基調とした建物群で構成されている。55万冊の書籍を保有するアルバートソン図書館は、通常深夜0時まで、Final Week(試験期間)は24時間オープンしている。その他スタジアム、学生会館、コンサートホール、アリーナ、学生寮等がある。
スポーツ
ボイシ州立大学のスポーツ・チームは、ブロンコス(Broncos)と呼ばれ、ほとんどのチームがMountain West Conference(MW:NCAAのFBSに属するカンファレンス)に所属している。近年カレッジフットボールでの躍進が目覚ましく、シーズン中はボイシ市全体が盛り上がる。2007年にオクラホマ大学、2010年にテキサスクリスチャン大学、2014年にアリゾナ大学といった強豪校を破り、フィエスタボウルを3度制覇している。キャンパス内にあるブロンコ・スタジアム(収容人数:36,387人)は全米で唯一青い芝のフィールドを持つ。
著名な出身者
- ロバート・クストラ - 元イリノイ州副知事
- ジェンス・パルヴァー - 総合格闘家
- スコット・ヨルゲンセン - 総合格闘家
- スティーブ・アップルトン - マイクロン・テクノロジCEO
- マイケル・ホフマン - ハリウッド映画監督
- オーランド・ジョーダン - プロレスラー
- バーバラ・モーガン - 宇宙飛行士
- ローラ・リー・ガーク - 作家
- TOM G - ラジオDJ
- クリス・チャイルズ - バスケットボール 選手
- ブッチ・オッター - アメリカの政治家
- ウィリアム・サリ - アメリカの政治家
- ラス・フルチャー - アメリカの政治家
脚注
- ^ a b c d "Facts & Figures 2013-2014", Retrieved on 2 April 2014.
外部リンク
ボイシ州立大学
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「チャンドラー・ハッチソン」の記事における「ボイシ州立大学」の解説
1年生の時、ハッチソンはNCAAトーナメントでデイトン大学に負けるまでの間、試合平均で3.1点を記録した。2年生となった2015-16シーズンにおいて、彼は試合平均6.8点、4.1リバウンドを記録した。この年、チームメイトだったジェームズ・ウェブがチームを去った事により、レオン・ライス監督はハッチソンをオフェンスの要としてみなし始め、ハッチソンもそれに応えて体を鍛え、シュート力を向上させた。 そして迎えた3年生のシーズン、試合平均17.4点、7.8リバウンド、2.6アシスト、3ポイントシュート成功率37.7%という、前年と比べて大きく成績を伸ばし、彼にとって飛躍の年となった。また、2017年ドラフトにエントリーする事を一度は宣言したが後に撤回、4年生としてチームに残る事を決めた。 4年生のシーズンはハッチソンにとって輝きに満ちた物であり、試合平均20点、7.7リバウンドを記録した。その優れた記録から、彼はマウンテン・ウェスト・カンファレンス内のファーストチームに選出された。獲得こそ叶わなかったが、ジェリー・ウェスト賞(優れたシューティングガードに与えられる賞)のトップ10候補に挙げられ、ネイ・スミス賞のトップ30候補に選ばれた。
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