ホワイト・エレファント:ミッレミリアの勝利
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「アルフレート・ノイバウアー」の記事における「ホワイト・エレファント:ミッレミリアの勝利」の解説
ノイバウアーとメルセデスチームの数ーの勝利の中でも、1931年のミッレミリアの勝利は特筆されるもののひとつである。 世界恐慌の影響による経済的な問題で、この時期のダイムラー・ベンツは自社チームによる参戦を止めており、資金的に余裕がない状態で参戦したものである。またイタリア国内の公道を1000マイルもの距離を走って争われるレースであるため、1927年の初開催以来いずれの年も文字通り「地の利」のあるイタリア勢が優勝を収めており、「外国メーカー」には厳しいレースであるとみられてもいた。 レースを完走するためには最低4回の燃料補給を行う必要があったが、メルセデスチームには整備員が3名しかおらず、4か所全てにあらかじめ整備員を配置しておくということはできなかった。そこでノイバウアーは一計を案じ、このレースがイタリア北部ブレシアとローマの間を大きく楕円状に一周するレイアウトであるところに目をつけ、各給油所の間をショートカットすることで、ドライバーが駆るレースカーより先に給油所に到達するという作戦を考案した。 この作戦は成功し、カラツィオラが駆る白く塗られた「ホワイト・エレファント」メルセデス・ベンツ・SSKL(フランス語版)は「イタリアン・レッド」で塗られたイタリア勢を下してこの年のレースを制した。このレースは1957年に終了するまで計24回開催されることとなったが、そのうち「外国メーカー」による優勝は3回であり、メルセデスチームはその最初の1勝を挙げたのである。
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