ホテル・ビクトリアへの改称と最初の改修
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/10 22:57 UTC 版)
「ホテル・ビクトリア (トロント)」の記事における「ホテル・ビクトリアへの改称と最初の改修」の解説
開業以来、ホテル・モソップは、長年の間、利益を上げ続け、有名なカナダの実業界の大物エドワード・プランケット・テイラーから相当額の投資を受けていた。ホテル・モソップは地域社会の重要な部分となっており、1918年にスペインかぜが大流行し、病院が患者たちを収容しきれなくなったときには、緊急の病院として使用され、これに対しトロント市当局から賞賛された。 1920年代になると、ホテル・モソップは財政上の困難に直面するようになった。この状況は、オンタリオ禁酒法(英語版)によって、当地でビール醸造所の株式を保有していたテイラーがホテル営業の免許を保持することができなくなるなど、飲酒に対する法的規制によって状況は一層悪化することになった。その結果、1927年にはホテルは休業に追い込まれ、ジョージとマシューのエリオット兄弟 (brothers George and Matthew Elliot) に売却された。相当な金額をかけて全面的に改修され、リノベーションがおこなわれたホテルを、エリオット兄弟は「ホテル・ビクトリア」として再開した。 以降、ホテルの経営状況は改善し、第二次世界大戦が勃発すると、トロントを席巻した愛国的感情にホテル・ビクトリアも加わって、戦費調達に協力する「チャーチル・クラブ (Churchill Club)」を設立した。戦後は、帰還した兵士の多くがホテル・ビクトリアを訪れ、このホテルはトロントでも最もよく知られたランドマークのひとつとなった。
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