ペスト第二のパンデミック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 02:23 UTC 版)
詳細は「ペストの歴史#17世紀〜19世紀前半」を参照 ペストは14世紀から17世紀にかけてヨーロッパと地中海域で幾度となくぶり返した。ジャン=ノエル・ビラーベンによると、ペストは1346年から1671年にかけて毎年ヨーロッパのどこかに存在していた 。第二のパンデミックは、特に以下の年(1360-63;1374;1400;1438-39;1456-57;1464-66;1481-85;1500-03;1518-31;1544-48;1563-66;1573-88;1596-99;1602-11;1623-40;1644-54;1664-67)に広域蔓延した。その後の感染爆発もまた深刻だったが、ヨーロッパの大部分(18世紀)と北アフリカ(19世紀)から撤退したのが特徴だった。 歴史家ジェフリー・パーカーによると「1628-31年の流行感染によりフランスだけで100万人近い人々がペストで死亡した」という。17世紀前半、ペストはイタリアで約170万人の犠牲者を出した。17世紀のスペインではペストの極端な発現により125万人以上の死者が出た。 黒死病はイスラム世界の大部分を荒廃させた 。ペストは1500年から1850年にかけて事実上毎年、少なくともイスラム世界のどこかに存在していた。ペストは北アフリカの都市を繰り返し襲った。 アルジェでは1620-21年に3万-5万人の住民を失い、1654-57,1665,1691,1740-42年に再び住民を失った。カイロは、最初のペスト流行感染から150年で50回以上の流行感染に見舞われ、1840年代に二度目のパンデミックによる最後の感染爆発があった。ペストは、1850年頃までオスマン帝国社会の大事件であり続けた。1701年から1750年にかけて、コンスタンティノープルでは大小37例の流行感染が記録され、1751年から1800年の間にさらに31例が記録された。バグダッドはペスト到来によって深刻な被害を受け、人口の2/3が死亡した時もあった。
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