ペスト蔓延下の宴
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『ペスト蔓延下の宴』 (ru:Пир во время чумы) は1830年11月6日に完成し、文集『アリツィオーン』1832年版に掲載された:621-623。 副題に「ジョン・ウィルソンの悲劇 The City of the Plague より」とある。『けちな騎士』と異なってこちらはスコットランドの作家ジョン・ウィルソン (John Wilson (Scottish writer)) が1816年に書いた実在の作品で、全3幕・12場から構成される。本作品は原作の第1幕第4場を翻案したものであるが:172、作中に登場する2つの歌はプーシキンによる創作である。原作は1665年のロンドンの大疫病に題材を取っている:27。 この作品だけは1830年秋になって構想されたものと考えられる。当時のロシアではコレラが流行し、検疫のためにモスクワが封鎖されていたのでプーシキンはボルジノから離れることができなかった:621-623。 あらすじ:若者たちが集まって宴会を開く。娼婦のメアリーは故郷の歌を歌うが、ペストの犠牲になった死体を運ぶ荷馬車が通る音にルイーザは気絶する。宴会を主宰するウォルシンガムはペストを女王にたとえる愉快なペスト賛歌を歌う。そこへ司祭が現れて、死者が出ているにもかかわらず宴会を開く人々の不信心を批判する。ウォルシンガムは絶望から離れるために宴会を開いているのだと主張する。司祭は去り、人々は宴会を続けるが、ウォルシンガムはひとり物思いにふける。
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