ベヴァリッジ報告書
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ベヴァリッジ報告書(ベヴァリッジほうこくしょ、Beveridge Report)は、ウィリアム・ベヴァリッジが示した社会保障制度拡充のための一連の報告書類。第二次世界大戦後のイギリスにおける社会保障制度の土台となった。正式名称は「社会保険と関連サービス」(Social Insurance and Allied Services)。
第二次世界大戦中の1941年、労働組合会議の請願を契機として省間委員会が組織され、国民健康保険制度などについての検討が行われた[1]。その検討に基づいて1942年11月に示されたものがベヴァリッジ報告である。報告の中で、健康保険、失業給付、年金などを、あらゆる国民がその対象になるような統一制度のもとで整備することが示された。この報告は国民の関心を強く集め、第二次世界大戦後における福祉国家への期待を高めることになった。
第二次世界大戦末の選挙において労働党が大勝し、アトリー労働党政権が成立したことは、この構想を実現へと向かわせた。1946年に国民保険法、国民保健サービス、1948年国民扶助法などが制定され、いわゆる「ゆりかごから墓場まで」といわれるような福祉国家への道を歩んでいった[2]。
福祉レジーム
イギリスの福祉国家モデルを、イエスタ・エスピン=アンデルセンは自由主義的福祉レジームに分類している[3]。
ベヴァリッジは、報告書において以下を「5つの悪」とし、国家による社会保険制度を整備することでこれに対抗し、それが不可能な場合に備えて公的扶助を設けるとした[2]。
- 窮乏 (want)
- 疾病 (disease)
- 無知 (ignorance)
- 不潔 (squalor)
- 怠惰 (idleness)
報告書はケインズ経済学の強い影響を受けているが、ベヴァリッジ自身は新古典派経済学に近い立場であった[2]。ベヴァリッジの目指すものは「完全な平等」ではなく、あくまでも最低限度(ナショナル・ミニマム)の保証であった[2]。
脚注
参考文献
- 村岡健次ら編 『世界歴史大系 イギリス史3』 1991年、山川出版社
- Jose Harris 著 (柏野健三訳) 『ウィリアム ベヴァリッジ その生涯(上・中・下)』1995・1997・1999年、ふくろう出版
- 柏野健三 『英国社会福祉政策の発達』 2003年 ふくろう出版
関連項目
- イギリスの福祉
- イギリスの医療 - 国民保健サービス (NHS)
- 福祉国家
- ナショナル・ミニマム
外部リンク
ベヴァリッジ報告
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「ベヴァリッジ報告書」も参照 1929年に米国ウォール街での株価の大暴落を契機として始まった世界大恐慌により、世界各国には大量の失業者があふれ、社会不安が増大した。アメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルトがニューディール政策の一環として1935年に連邦社会保障法(Social Security Act)を制定した。社会保障という言葉はこのとき初めて使われたが、この連邦社会保障法は、老齢年金、失業保険、障害者扶助、母子衛生及び児童福祉事業等をその内容としており、必ずしも、今日使われているような社会保障を意味するものではなかった。 社会保障という言葉が、国際的に本格的に使われるようになったのは、ベヴァリッジ報告以後である。イギリスでは、第二次世界大戦中の1942年にウィリアム・ベヴァリッジが『社会保険と関連サービス』と題したベヴァリッジ報告書を提言し、その後、多くの国の社会保障の発展に大きく影響を与えることになる。この報告では、社会保険制度を中心とし、公的扶助・関連諸サービスを総合し、「ゆりかごから墓場まで」をスローガンにした社会保障計画を提唱した。戦後の社会保障の理想的体系(ナショナル・ミニマムの保証)を示したものであり、社会保険制度については均一拠出と均一給付を採用していた。
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