ベンドアと好対照の出自
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「ロバートザデヴィル」の記事における「ベンドアと好対照の出自」の解説
ロバートザデヴィルとベンドアの父系は、いずれもストックウェル(Stockwell)に行き着く。ストックウェルは1860年代にイギリスの種牡馬チャンピオンに7回輝き、その仔ブレアーアソール(Blair Athol)も1870年代に4回種牡馬チャンピオンになっている。ベンドアは英ダービー馬ドンカスターの仔であり、ストックウェルの孫にあたる。 一方、ロバートザデヴィルはストックウェルの曾孫にあたるが、こうした華々しい系統からは外れていた。祖父のザデューク(The Duke)はグッドウッドカップに勝ち、アイルランドのダービー勝馬を2頭出していたが、当時のアイルランドはイギリスの一地方に過ぎず、本場で通用しない二流馬が出るような田舎競馬に過ぎなかった。父馬のバートラム(Bertram)も1872年にキングズスタンドステークスを勝った程度の短距離馬だった。 ベンドアを生産したのは、最高格の貴族であるウェストミンスター公爵で、その母馬は三冠馬ロードリヨン(Lord Lyon)の叔母にあたる血統、ということになっている(詳細は後述)。 一方、ロバートザデヴィルを生産したのはチャールズ・ブリューワー(Charles Brewer)という賭博師だった。母馬はバートラムを交配される前年は死産で、「キャストオフ(Cast Off=「打ち棄てられた」)」という名前の通り、ケンブリッジシャーのソヘム(Soham)近くの湿地帯で野生馬のようにほとんど放置されて飼われていた。 ロバートザデヴィルは、体高16.2ハンド(約168センチメートル)と大柄な鹿毛馬に成長し、激しい気性の持ち主だった。ロバートザデヴィルを描いた絵をよく見ると、前へ出ようとする気性が強すぎる馬を抑えこむために用いる大勒(en:Double bridle)を装着していることがわかる。19世紀にはしばしば用いられた頭絡だが、現代の平地競馬ではほとんど見られない。 馬主のブリューワーは、ロバートザデヴィルをニューマーケットのアッパーステーション・ロードに厩舎を開いていたチャールズ・ブラントン(Charles Blanton)調教師に預けた。出走させる際の登録上はブリューワーの名義だったが、実際にはロバートザデヴィルの権利の半分をブラントン調教師に売り、共有馬となっていた。
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