ベオヴィジヤとユーロビジョン・ソング・コンテスト2007
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「マリヤ・シェリフォヴィッチ」の記事における「ベオヴィジヤとユーロビジョン・ソング・コンテスト2007」の解説
「セルビアのユーロビジョン・ソング・コンテスト」および「ユーロビジョン・ソング・コンテスト2007」も参照 シェリフォヴィッチは2007年3月8日、この年から独立国としてユーロビジョン・ソング・コンテストに参加することとなったセルビアの代表を決めるベオヴィジヤに参加した。審査員投票と電話投票によって、シェリフォヴィッチの「Molitva」が優勝曲に選ばれ、シェリフォヴィッチは、フィンランドのヘルシンキで行われるユーロビジョン・ソング・コンテスト2007への参加を決めた。この曲はまた英語(タイトルは「Destiny」)およびフィンランド語(タイトルは「Rukoilen」)でも録音された。また、ロシア語バージョン(タイトルは「Молитва」)もある。 ユーロビジョン・ソング・コンテストのプロモーション・ツアーの中で、シェリフォヴィッチはボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、マケドニア共和国、スイス、ギリシャを訪れた。はじめは、ミュージック・ビデオの制作も予定されていた。ドキュメンタリーが制作され、ミュージック・ビデオやユーロビジョンへの準備の映像が収録される予定である。 3月12日、準決勝と決勝の登場順が決められた。セルビアは準決勝で15番目の登場となり、決勝進出を決めた。決勝ではドイツとウクライナの間、17番目の登場となった。シェリフォヴィッチの曲「Molitva」はユーロビジョン・ソング・コンテストで優勝を収めた。優勝後の会見で、マリヤ・シェリフォヴィッチは「今夜、セルビア人であることをとても誇りに感じた!」と話した シェリフォヴィッチがベオグラード・ニコラ・テスラ空港に降りたとき、7万-10万の人々がセルビア市民議会の前で彼女を歓迎する集会に集まった。 マリヤ・シェリフォヴィッチは5月25日、出身地のクラグイェヴァツでコンサートを開いた。シェリフォヴィッチは、彼女のユーロビジョンでの優勝を祝う6万人の観衆の前でパフォーマンスをした。シェリフォヴィッチは、クラグイェヴァツでのコンサートはまったく感じが違うと話し、その理由としてクラグイェヴァツでは自分の友人や同級生、教師、隣人、毎日顔を合わせる人たちの前で歌うことを挙げた。 ユーロビジョン・ソング・コンテスト2007での優勝曲Molitvaが、ソニ・マライの曲Ndarjaからの盗作ではないかという疑惑が持たれた。後に、Ndarjaを作曲したマケドニア人プロデューサMarjan Filipovskiによって、同曲とMolitvaの関連性は否定されている。
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