ヘリウム風船不時着事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 13:47 UTC 版)
経営する銀座のパブに出資してもらったことから、1991年7月から歌手のグラシェラ・スサーナのマネージャー業をしていたが、1992年になって契約を解消。 1992年4月17日には、風船で飛び立ち、民家の屋根に不時着する事故を起こした。府中署防犯課の警察官の制止を聞かずに東京都府中市の多摩川河川敷から千葉県の九十九里浜を目指して午前12時45分にヘリウム風船で飛び立った。自分が座った椅子に5メートルと2.5メートルの風船各2個を直接くくりつけて飛行していたが、おもりの15kgの砂袋2個がはずれて急上昇し、予定の高度400メートルが5,600メートルの高度に到達したため、当日購入していた100円ライターであぶって5メートルの風船を切り離した。この後に高度が下がり、午後1時40分頃に出発地点から24キロメートル離れた東京都大田区大森西七丁目の民家の屋根に不時着した。しかし左手に怪我をした程度で済み、駆けつけた蒲田署員に謝罪しつつも、成功すれば次はハワイをめざす予定だったと語り、改めて再挑戦することを誓っていた。 一方、不時着された民家は瓦が壊れ、テレビアンテナが曲がる被害を受けたが、鈴木からの弁償も挨拶もなかったという。 この初飛行の後、NHKのラジオ番組にゲスト出演し、その際に風船による太平洋横断計画について語っている。しかし、同年4月の実験飛行の大失敗によってマスコミ各社は鈴木と距離を置くようになり、また風船のヘリウムガスを売ってもらえなくなった。
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