プロレスリング・ノア時代
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「ノーフィアー」の記事における「プロレスリング・ノア時代」の解説
プロレスリング・ノア旗揚げ戦では、高山、大森、浅子が揃って金髪・白コスチュームで登場。以後、高山は金髪がトレードマークとなる。移籍後も止まることのない勢いで連戦連勝を重ねるが、途中で高山と大森が分裂し、高山は秋山、大森は小橋と組んだこともあった。しかしこれは、小橋を貶めるための秋山と組んだ壮大な罠で、試合途中で大森が秋山・高山側に寝返ったのである。このような仕掛けが未だ地上波中継がついていなかったノアのリングを盛り上げ続けた。 2001年、高山が総合格闘技PRIDEへの出場を契機にノアを退団してフリーに転向したが、ユニットの活動は変わらず継続された。GHCヘビー級王座が新設されると、初代王者決定トーナメントに大森と高山がそれぞれ参加。大森は秋山との接戦の末に敗れて1回戦敗退となるが、高山は決勝戦まで昇り詰め、三沢に敗れながらも力量を見せつけた。同年にGHCタッグ王座が新設されると、圧倒的な強さで連勝街道を積み重ねていたNO FEARは社長の三沢光晴に対し「やる前から結果など分かっている」「俺達が初代で挑戦者決定トーナメントにしろ」「そうでないならトーナメントには出ない」と要求する。しかし三沢は「じゃあ出なくていいよ」と反対に返した。しかし既にフリーだった高山は許されたが、所属選手の大森は出場を命令され、当時ZERO-ONE所属でアニマル浜口ジムで練習を共にした大谷晋二郎をパートナーに出場するという一波乱もあった(途中敗退)。トーナメント決勝において、大森と高山は実況解説席に座り、「これは俺達への『挑戦者決定戦』だ。」とあくまで自分達こそがタッグ王者である事を強調し続け、実況の矢島学が(NO FEARから見ての)失言をすると、「矢島!お前、クビにするぞ!」と説教した。同年12月に第2代GHCタッグ王者の三沢&小川組にNO FEARとして挑戦し、第3代GHCタッグ王者に輝いたが、翌2002年2月の森嶋猛&力皇猛組との初防衛戦に敗れ、タイトルを手放した。一方、唯一のジュニアヘビー級選手であった浅子は2001年9月に金丸義信が持つGHCジュニアヘビー級王座に挑戦するも敗戦。浅子はこれがキャリア最後のタイトルマッチであった。
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