プレイステーション参入と活動休止
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「パンドラボックス (ゲーム会社)」の記事における「プレイステーション参入と活動休止」の解説
その後はスーパーファミコンからプレイステーション用ソフトの企画・開発へと移行する。 1995年10月27日にソニー・コンピュータエンタテインメントから、飯島の十八番ともいえるモチーフ=戦国時代と忍者をフィーチャーしたシミュレーションRPG『戦国サイバー 藤丸地獄変』を発表。しかしこの『戦国サイバー 藤丸地獄変』は不安定なゲームバランス、バグやフリーズなどの不具合から失敗作として会社の歴史に名前が残った。 そして1998年7月16日に異色の登山シミュレーション『蒼天の白き神の座 GREAT PEAK』をリリース。また、1998年12月17日にタカラが発売した『新世代ロボット戦記ブレイブサーガ』の開発等に携わっている。 1999年初頭、『蒼天の白き神の座 GREAT PEAK』製作チームの主要スタッフが離脱、株式会社アシッドを設立している。このころからパンドラボックスは企画能力が著しく低迷し、自社ブランドの低価格ソフトが中心となっていく。 1999年11月18日には、自社のブランド『パンドラMAXシリーズ』として第1作『ドラゴンナイツ・グロリアス』を発売、単独での家庭用ゲーム機に参入を果たす。その後、『死者の呼ぶ館』、『ラビッシュ・ブレイズン』、『Catch! 〜気持ちセンセーション〜』、『ごちゃちる』、『ONI零 復活』の第6作まで続いた。 なお、シリーズ全作品は新作にもかかわらず1980円という比較的安価な価格設定であった。これについて、飯島は「子供の小遣いでも簡単に買えるよう、出来ればこの価格をずっと維持していきたい」と語っている。 しかし、安価にも関わらず売れ行きは不振で、結果として赤字となる。第6作の『ONI零 〜復活〜』については10万本以上売り上げたが、その後のシリーズ第7作、8作となるはずの『リストラの朝』『闇の蛹』『ONI零 流転』といった作品は企画倒れとなった(その後、2007年2月にONI零の続編製作が発表)。 以後はいったんゲーム開発事業から撤退し、法人としては存続していたが休眠状態となる。飯島も翻訳業に身を移し、インドネシアと日本を行き来することとなった。
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