ブリテンという名称の記述と命名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 09:55 UTC 版)
「ピュテアス」の記事における「ブリテンという名称の記述と命名」の解説
ストラボンによればピュテアスは「ブリテン」を Bretannikē という女性名詞形で呼んでいたが、これは「ブリテンの」という形容詞形でもある。大プリニウスは Britannia と呼び、ブリテン諸島の意味では Britanniae と呼んでいた。ディオドロスは Brettanikē nēsos すなわち「ブリテン諸島」、あるいは Brettanoi すなわち「ブリテンの」という単語を使っている。クラウディオス・プトレマイオス は Bretania と Bretanikai nēsoi を使っている。 一見するとピュテアスが Britannia という名称を最初に使ったように思われる。しかし写本によっては B- が P- になっているものもあり、ピュテアスが元々聞き取った名称は P- で始まる *Pretania や *Pritannia などだった可能性が高い。一般に元々 P- で始まっていたものをガイウス・ユリウス・カエサルの時代のローマ人が B- に転換したと見られている。 ブリテン (Britain) はウェールズ語の Ynys Prydein(ブリテンの島)に由来し、これはQケルト語の Cruithne のアイルランド語での語 Cruithen-tuath(ピクト人の土地)のPケルト語での異音である。元になっているスコットランド/アイルランドの単語は cruth、ウェールズ語では pryd で「姿形 (form)」を意味する。つまりブリテンとは「姿形の人々」を意味し、刺青をしていた民族を指している。ローマではそれをピクト人 (Picti) と呼び「描かれた」を意味する。 このような語源の考察が正しいなら、ピュテアスがPケルト語の言葉を持ち帰ったということになり、アイルランドを訪れていないか、Qケルト語を話すアイルランドの原住民と話をしていないことになる。また当時既にウェールズ祖語がブリテン各地で使われており、ケルト語派は既に分裂していたことになる。 ディオドロスはピュテアスの記述に基づき、ブリテンが寒く霜の多い地だとしている。これはピュテアスが霜を見たが吹雪や流氷を見ていないことを意味し、早春にブリテン諸島をめぐったことを示唆している。 原住民についてピュテアスは、藁葺き屋根の小屋に住み、地面に穴を掘って穀物を貯蔵し、パンを焼いて食べていたと記している。風習は単純 (ēthesin haplous) で食事もあっさりしていた。各地に王がおり、互いに平和を保っていた。兵士はギリシア人がトロイ戦争でやったようにチャリオットを使っていた。
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