フジテレビ系列に加盟した経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 08:02 UTC 版)
「山陰中央テレビジョン放送」の記事における「フジテレビ系列に加盟した経緯」の解説
TSKは山陰中央新報(当時:島根新聞)等によって設立された放送局であるが、同紙は元々読売新聞と親密であったため(なお、経緯については山陰中央新報の項を参照。)、本局開局時は日本テレビ (NTV) 系列を希望していた。しかしながら将来的に鳥取県との相互乗り入れを行うことを考慮した(当時、既に日本テレビ系列の番組の相当数をNKTが押さえていた。)ことに加え、当時フジテレビがUHF局大量免許によりネットワーク拡大に積極的であったこともあり、フジテレビ系列 (FNN・FNS) に加盟した。 一方の日本海テレビジョン放送(NKT)は、元々産経新聞・日本海新聞旧社が主体となって開局したテレビ局でもある。しかしながらNTVはフジテレビよりも先発局で、スポーツ中継などの実績があり対抗局と言われたラジオ東京(現在のTBSテレビ)よりも営業成績が良かった。ニュースネットワークもTBS系のJNNを短期間で脱退した後は自然に日本テレビ系へと組み込まれていった。TSK開局時には既にNKTはNTVとの関係が深くなっていたのである。 こうして、相互乗り入れ後はこの山陰地区がいわば「腸捻転」状態となっていたが、後に読売・フジサンケイ陣営で相互の資本を交換。TSKはフジサンケイグループと親密になり、二代目の村木浩社長をフジテレビから迎えた(村木社長は1980年代、『金曜おもしろバラエティ さんま・一機のその地方でしか見られない面白そうな番組を全国のみんなで楽しく見ちゃおうとする番組』シリーズでフジテレビネットワーク部長の肩書きのままお目付役としてレギュラー出演していた。)。現在は、出雲駅伝を共催している。
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