フジタとサッカー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/11 07:57 UTC 版)
「湘南ベルマーレ#歴史」も参照 フジタは1970年代から1990年代にかけて、サッカーへの支援に力を注いでいた企業であることでも知られている。 子会社であった藤和不動産のサッカー部は1968年の設立からわずか3年で当時のトップリーグである日本サッカーリーグ (JSL) に昇格。1975年にはフジタ工業(当時)のサッカー部となり、1993年にJリーグ準会員の湘南ベルマーレ(1994年にベルマーレ平塚とチーム名を改めてJリーグ昇格)に移行後も、自社の業績不振が深刻化する1999年の撤退まで支援を継続していた。この時の運営撤退にあたっても、新旧分離によりクラブの負債をすべてフジタが引き取った上で、フジタの所有であった大神グラウンド(現・松蔭大学湘南キャンパス)を2006年まで練習場として使用させるなど、間接的な支援を継続していた。大和ハウス傘下で経営再建を果たした後の2017年シーズンには、ユニフォームスポンサーとして18年振りにクラブをサポートすることが発表された。その一方で創業家の出身地である広島県との地縁から、サンフレッチェ広島のパートナー企業にも「クラブパートナー」として参加している。 また、女子サッカーにおいても1990年に天台FCを支援、フジタ天台SCマーキュリーとして日本女子サッカーリーグ(L・リーグ)に参加していたが、ベルマーレ平塚(当時)への支援打ち切りと同時期の1999年に解散している。 フジタがサッカーに積極的に関わっていたのは、元副社長(藤和不動産元社長)の藤田正明が大学時代までサッカーの選手であったことも影響していたと見られている。藤田正明は、上記チームとは別に個人として広島のサッカークラブ「広島フジタSC」のオーナーも務めており、こちらは現在広島県リーグ1部に在籍している。
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