フィリピン・ミンダナオ島ザンボアンガとは? わかりやすく解説

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フィリピン・ミンダナオ島ザンボアンガ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 15:08 UTC 版)

佐々木丙二」の記事における「フィリピン・ミンダナオ島ザンボアンガ」の解説

1944年昭和19年6月マリアナ沖海戦敗北連合艦隊空母部隊による戦闘能力喪失しタウィタウィ泊地維持必要性なくなったため、同年8月佐々木はザンボアンガ派遣隊長として、ホロ島からミンダナオ島転任し在留邦人婦女子内地引き揚げ成功させた。その後ボンガオからザンボアンガへ転進してきた第33警備隊33警)司令承命服務により33副長兼務また、ムスリムであるモロ族スルタンサルタン)や有力ダトゥと良好な関係を築き、ラナオ州、コタバト州、ザンボアンガ州、スールー州などのモロ族による民族自決独立国家建設目指し回教徒連盟」(ムスリム連盟)の結成尽力したが、1945年昭和20年3月アメリカ軍上陸による戦況悪化により実現しなかった。ミンダナオ島防衛戦緒戦におけるザンボアンガ海軍部隊敢闘対し豊田副武連合艦隊司令長官は特に賞詞贈って偉勲を讃えたが、同年4月26日以降32特根ダバオ司令部との通信連絡途絶持久戦の末、大東亜戦争終結詔書発布後の同年9月1日同地にて戦病死したとされる。4,120名いたザンボアンガ海軍部隊兵力同年3月10日現在人員)が、終戦時収容人員271となっていた。

※この「フィリピン・ミンダナオ島ザンボアンガ」の解説は、「佐々木丙二」の解説の一部です。
「フィリピン・ミンダナオ島ザンボアンガ」を含む「佐々木丙二」の記事については、「佐々木丙二」の概要を参照ください。

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