フィリピン・ホロ島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 15:08 UTC 版)
1943年(昭和18年)6月、第32特別根拠地隊(32特根)(司令部:ミンダナオ島ダバオ)ホロ派遣隊長としてホロ島に着任した。同年4月、山本五十六連合艦隊司令長官がブーゲンビル島上空で戦死し、同年5月、アッツ島で守備隊が全滅して大本営が初めて玉砕の表現を使った直後の時期のことである。 ホロ島はフィリピンの南西部、ボルネオ島とミンダナオ島の間に連なるスールー諸島の中央に位置し、16世紀以来のスペイン、アメリカの支配に対し、ムスリムであるモロ族によるゲリラ活動が活発な地域であった。佐々木は、タラカン島油田に近いタウィタウィに連合艦隊の泊地を建設するため、モロ族兵士で構成される義勇隊によってゲリラを掃討し、ホロ島さらにはタウィタウィ島、サンガサンガ島、ボンガオ島、シムヌル島などスールー諸島全域を平定した。
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