ピンク・フロイド加入後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 23:42 UTC 版)
「デヴィッド・ギルモア」の記事における「ピンク・フロイド加入後」の解説
当初の予定では、バレットは曲作りやレコーディングで活動してもらい、ギルモアはライブやメディア出演での活動を行うように考えていた(ザ・ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンとブルース・ジョンストンのような形にしようとしていた)。しかし、バレットの症状はあまりにも酷く、バンドからの脱退(実質は解雇)を余儀なくされる。 バレット脱退後のバンドは、ロジャー・ウォーターズが作詞・作曲を手掛け、ギルモアはギタリスト兼ボーカリストとして活躍。最初にリード・ボーカルを担当したのがシングル曲「夢に消えるジュリア」だった。サウンド面では『神秘』や『原子心母』のアイデアを提供している。 ギタリストとしては、派手なプレイは少ないものの、緻密な音作りによって叙情的で美しい独特のサウンドを生み出し、高い評価を得ている。ブルージーかつ浮遊感のあるギルモアのバッキングは、フロイド・サウンドの代名詞ともいえる存在である。また、「コンフォタブリー・ナム」「タイム」「マネー」などでのギターソロはロック史に残るプレイとして名高い。 1969年の発表の『ウマグマ』で作詞に苦労し、ウォーターズにアドバイスを求めるも拒否されている。1970年発表の『原子心母』では「デブでよろよろの太陽」を、1972年発表の『雲の影』では「大人への躍動」をそれぞれ作詞作曲。それ以降、バンド内ではウォーターズが1986年に脱退するまですべての作詞を担当したため、ギルモアはまったく歌詞を書いていない。ウォーターズ脱退後はバンドのリーダーとなったが、作詞は外部からの協力を仰いでいる。
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