ピンク・フロイド創設メンバー
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「ニック・メイスン」の記事における「ピンク・フロイド創設メンバー」の解説
バーミンガムの比較的裕福な家庭に生まれる。父はドキュメンタリー映画の演出家で、母はクラシックのピアニストだった。音楽的にも恵まれた環境で過ごしている。 リージェント・ストリート・ポリテクニック(現ウェストミンスター大学)に進学し、ロジャー・ウォーターズとリチャード・ライトの2人と出会う。その後、「ピンク・フロイド」の母体となるバンドを結成する。 ピンク・フロイドとしてメジャー・デビューしてからは、他のメンバーに先駆けてソロとしての活動を始めている。幅広い音楽業界の交友関係を生かし、多くのミュージシャンのレコーディングやツアーに参加している。ダムドやロバート・ワイアット、ゴング、スティーヴ・ヒレッジ、マイケル・マントラーなどの作品に携わってきた。ドラマーとしての参加はもちろん、プロデューサーやレコーディング・エンジニアとしての活動も行っている。 また、1981年に『空想感覚』、1985年に『プロファイルス - ピンクの進化論』(元10ccのリック・フェンとの共作)という2枚のソロ・アルバムを発表している。ニック・メイスン名義ではあるが、前者はフリー・ジャズ・ピアニストのカーラ・ブレイのアルバムのセッション・ミュージシャン的位置付けが強い。 ウォーターズとデヴィッド・ギルモアの対立により、フロイドの活動に亀裂が入ってからも、中立的な立場を採っている。1980年代以降の2人のソロ・ツアーに顔を出すなど、どちらとも良好な関係を維持している。
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