ピッチ空間の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 06:44 UTC 版)
ピッチ空間の発想は、少なくとも「ハーモニスト[要出典]」として知られる古代ギリシャの音楽理論家にまで遡る。その1人であるBacchiusの言葉を引用すると、「ではダイアグラムとは何か? 音楽のシステムの表現方法である。そして、その科目の生徒のために、聴覚では把握しにくいものが彼らの目に見えるようにダイアグラムを使用する」(Bacchius, in Franklin, Diatonic Music in Ancient Greece)。ハーモニストは、様々なスケールの間隔を視覚的に比較できるように、幾何学的な絵を描いた。結果的に、その間隔はピッチ空間に配置されているということになる。 高次元のピッチ空間も、長い間研究されてきた。格子の使用は、Euler (1739) によって提案され、完全5度と長3度の軸を使用して純正律をモデル化している。同様のモデルは、主にOettingen、Riemann (Cohn 1997) などの理論家による、19世紀の活発な調査の対象となった。James Tenney (1983) やW. A. Mathieu(英語版) (1997) などの現代の理論家は、この伝統を引き継いでいる。 MW Drobisch (1855) は、オクターブの等価性と循環性 (Lerdahl、2001) を表す螺旋 (すなわち、五度螺旋) を提案した最初の人物であり、ピッチ空間のモデルを提供した。Shepard (1982) は、Drobischの螺旋を正則化し、「メロディックマップ」(Lerdahl、2001) と呼ばれる五度圏上の2つの全音階の二重螺旋に拡張する。Michael Tenzer(英語版) (2000) は、バリのガムラン音楽への使用を提案する。これは、オクターブが 2 : 1ではなく、そのために西洋音楽と比較してオクターブの等価性が低いためである。Chromatic circle(英語版)も参照。
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