ピアノの登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/27 12:02 UTC 版)
「バルトロメオ・クリストフォリ」の記事における「ピアノの登場」の解説
クリストフォリが1698年にはピアノの製作にとりかかっていたことを示す記述が、メディチ家の宮廷音楽家、フランチェスコ・マヌッチの日記に見えるという説が一時期語られていたが、現在ではこの史料の信憑性は疑われている(詳しくは Pollens 及び O'Brian を参照)。信頼できる最古の記録は、前述の1700年のメディチ家の目録となる。目録中、クリストフォリのピアノに関する項目は次のように始まっている。 「 Un Arpicembalo di Bartolomeo Cristofori di nuova inventione, ch fa' il piano, e il forte, a' due registri principali unisoni, con fond di cipresso senza rosa... (強調引用者、「1台のアルピチェンバロ、バルトロメオ・クリストフォリによる新規発明品、優しく、また大きく響くもの、ユニゾンに調律した2レジスター、ローズ無しの杉板の響板……」) 」 「アルピチェンバロ」という語は、文字通りには「ハープ・チェンバロ」の意となり、当時広く用いられていた語ではなかった。エドワード・グッドは、この「アルピチェンバロ」こそがクリストフォリが自分の楽器に与えた名前であったとしている。しかし、年月とともに、引用部太字部分が省略されて、現在用いられる「ピアノ」という語になっていった。 メディチ家目録はこの後も詳細にわたってこの楽器(現存せず)について記述しており、それによれば音域は C - C''' の4オクターヴであった。 最初期のピアノに言及しているほかの史料として、また別のメディチ家の宮廷音楽家、フェデリゴ・メッコリがジョゼッフォ・ツァルリーノの『和声論』 (Le Istitutioni harmoniche) の余白に記したメモがある。メッコリは次のように記している。 「 これらの方法によって、 "Arpicimbalo del piano e forte" を演奏することができる。[この楽器は]もっとも高貴なるフェルディナンド・トスカーナ大公子殿下のチェンバロ製作家、パドヴァのバルトロメオ・クリストファニによって1700年に発明された。 」 シピオーネ・マッフェイの雑誌記事によれば、1711年にはクリストフォリは3台のピアノを製作していた。1台はメディチ家からローマのオットボーニ枢機卿に贈られ、残りの2台はフィレンツェで売られた。
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