ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/11 09:46 UTC 版)
「インドの宗教間対立」の記事における「ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立の歴史」の解説
インドのイスラム教は西アジアからの征服王朝として始まった。1186年にゴール朝のムハンマドがパンジャーブ地方を支配し、1206年にはゴール朝の司令官アイベグがデリーでゴール朝から独立してイスラム教の政権を樹立した。その後も王朝が変わりながらもイスラム教徒がデリーを根拠地として北インドを支配した(デリー・スルターン朝)。デリー・スルターン朝の異教徒に対する態度は、イスラム教徒が圧倒的に少ないということもあって寛容であった。またヒンドゥー教徒もイスラム教徒を信仰の異なる「異教徒」と認識せず、トルコから来た騎馬軍団と認識していた。デリー・スルターン朝の後、1526年にやはりイスラム教徒を皇帝とするムガル帝国が北インドを支配したが、ヒンドゥー教徒を統治機構に迎えたり、皇帝がヒンドゥー教の藩王(ラージャ)家の女性を娶るなど積極的に融和策を取った。しかしムガル帝国第6代皇帝アウラングゼーブが「イスラム国家」の建設を目指したため、この融和的な状況が崩れ始め、同時にムガル帝国の弱体化が始まった。
※この「ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立の歴史」の解説は、「インドの宗教間対立」の解説の一部です。
「ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立の歴史」を含む「インドの宗教間対立」の記事については、「インドの宗教間対立」の概要を参照ください。
- ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立の歴史のページへのリンク