パイロットを目指す
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/12 06:13 UTC 版)
埼玉県女子師範を卒業して小学校の教員となっていたが、生徒を引率して訪れた群馬県太田市の尾島飛行場で飛行機に魅せられ、航空を志す。1931年(昭和6年)、小学校を退職して飛行学校に入学、1933年(昭和8年)に二等飛行操縦士免許を取得、馬淵テフ子と共に、日本初の女性水上飛行機操縦士となり、10月には一三式水上機を操縦して郷土を訪問するため飛びたった。 日本人女性パイロットとして初めて、自ら操縦して海外渡航を行ったのは1934年(昭和9年)である。名目は満州国建国親善飛行であり、サルムソン2A2型陸上機「白菊号」を操り、途中で故障のため不時着するなどしながら日本海を横断、同時に日本をたった馬淵テフ子と一日違いで目的地に着陸。日本人の女性飛行士として初の海外渡航を実現したのである。その偉業に対して、10月には航空関係者をたたえるハーモン・トロフィーを受けている。
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