バース、サウサンプトン時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 20:02 UTC 版)
「ジェイン・オースティン」の記事における「バース、サウサンプトン時代」の解説
オースティンの私生活にはほとんど変化がみられない。1801年にジョージはジェームズに牧師職を譲り、一家は当時から著名な保養地であったバースへと移った。オースティンはこのことを聞くと卒倒したというが、バースでの経験は後に小説を書く上で大きな糧となった。ここで一家が過ごした家屋は現存しており、その近くにはジェイン・オースティン・センターがある。この時期に「ワトソン一家」を書いたが、放棄されてしまう。 1801年夏、一家でデボンシャーを訪れた際、生涯唯一の恋をしたといわれる。相手はトーマス・ルフロイといい、晩年その旨を語っていたという。また1802年にはハリス・ビッグ=ウィザーという人物からプロポーズされた。彼は裕福な若者であったが、「大きくて不器用な」性格をしており、彼女より6歳年下であった。未婚の女性は一生父や兄弟に頼って生活しなければならなかった当時のイギリスの中流階級において、この申し込みはまたとない機会であった。オースティンは一旦プロポーズを受け入れたが、翌日には断りの返事をした。 1805年1月21日に父が死去すると、オースティンと母と姉の3人はサウサンプトンのカッスル・スクエアのフランクの家でしばらく平穏に暮らした。
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