バアス党政権時代とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 07:20 UTC 版)
「アッシリア人」の記事における「バアス党政権時代とその後」の解説
イラク共和国成立後、1968年から長く一党独裁を行っていたバアス党のサッダーム・フセイン大統領政権下のイラクにおいては、シーア派やクルド人同様アッシリア人も迫害を受け、アラム語教育や公共の場でハ・ブ-ニサンなどの祭事を祝うことなどは一切禁止されていた。80年代のアンファール作戦では多くのアッシリア人も犠牲になった。抵抗活動を続けていた一派は、1979年に小規模ながらもイラクで唯一のアッシリア人政党であるアッシリア民主運動(英語: Assyrian Democratic Movement、アラム語: ܙܘܥܐ ܕܝܡܘܩܪܛܝܐ ܐܬܘܪܝܐ Zowaa Dimuqrataya Ashurayta。略称ADM、通称ゾワー〈"運動"〉 Zowaa)を結成。 2003年にフセイン政権が倒壊した際、新憲法によってキリスト教徒の信仰の自由はある程度回復され、アラム語教育、典礼や祭事などは許可され、アッシリア民主運動などの政党も合法化された。しかしイラク戦争後のイスラム過激派の活動の激化により、今もなお政治的難民として欧米に亡命するアッシリア人も少なくない。カトリコス総主教のマル・ディンハ4世(英語版)も2006年にイラクに一時帰国するもシカゴにとどまり続けている。 現在のイラクではアッシリア人の住む地域はクルド人政権下にあり、クルド地域政府確立に向けて援助する形を取っているが、同時にアッシリア人の自治権請求も活発である。 2014年1月21日にイラク政府はニネヴェ平野をアッシリア人の保護地域にすると発表し、ISILの民族浄化から防衛するアッシリア人民兵組織NPUの拠点となってる。また、もう一つの民兵組織ドゥエイフ・ナウシャも同地域で活動している。 なお、シリアのアッシリア人もシリア内戦に参加し、反政府武装組織ストロやアッシリア軍事評議会を結成してクルド人民防衛隊などと連携をとってる。
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