バアス党政権時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 14:49 UTC 版)
「イッザト・イブラーヒーム」の記事における「バアス党政権時代」の解説
1968年7月17日のバアス党主導のクーデタが成功し、アフマド・ハサン・アル=バクル政権が樹立されると、党の機関紙の1つである「農民の声」紙の編集長及び労働組合総連盟事務局長に任命される。1969年12月には、革命指導評議会(RCC)メンバーに選出、土地改革大臣として入閣する。 1972年5月15日からは農業大臣に就任し、主に農政改革を取り仕切った。 1973年には、バクル政権を狙ったクーデター未遂事件の首謀者を裁く、特別法廷長官としてクーデター実行犯を裁いた。1974年には党地域指導部メンバーに選出され、同年11月11日、内務大臣に任命される。この項にバアス党の民兵組織「市民軍」司令官にも就任する。 1977年9月には、農民総連盟事務局長に就任。10月には党地域指導部メンバーに選出され、当時、バクル大統領以上の実力者であった、サッダーム副議長の右腕として台頭した。
※この「バアス党政権時代」の解説は、「イッザト・イブラーヒーム」の解説の一部です。
「バアス党政権時代」を含む「イッザト・イブラーヒーム」の記事については、「イッザト・イブラーヒーム」の概要を参照ください。
- バアス党政権時代のページへのリンク