ハーバート・フーバーの堤防
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「エバーグレーズの排水と開発」の記事における「ハーバート・フーバーの堤防」の解説
政府機関の関心は直ぐに排水から洪水制御に移った。州と連邦政府の予算が手当てされて、オキーチョビー洪水制御地区が1929年に創設された。ハーバート・フーバー大統領が1918年オキーチョビー・ハリケーンの被害を受けた町を視察し、自身技師でもある大統領がアメリカ陸軍工兵司令部に湖を囲む町を支援するよう命じた。1930年から1937年、湖の南縁に沿って長さ66マイル (106 km) の堤防が、また北縁にはやや短い堤防が築かれた。高さは34フィート (10 m)、厚みは湖水面で3.5フィート (1.1 m) 、頂部で3フィート (0.91 m) あり、陸地方向にも2フィート (0.61 m) あった。ハーバート・フーバー堤防とオキーチョビー湖の水の制御は連邦政府の権限となった。アメリカ合衆国は湖水位の上下限を14フィート (4.3 m) と17フィート (5.2 m) とすると宣言した。 幅80フィート (24 m)、深さ6フィート (1.8 m) の運河もカルーサハッチー川を通して大量に掘られた。湖水面が高すぎるときは、この運河を通してメキシコ湾に逃がされた。北岸堤防に沿ってエキゾチックな樹木が植樹された。オーストラリア松、ユーカリ、柳、竹だった。プロジェクト全体で、2,000万ドルが注ぎ込まれた。この堤防と運河が建設された後では、サトウキビの生産が拡大した。湖を囲む小さな町の人口は、第二次世界大戦の後で3,000人から9,000人に飛躍した。
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