ハル・ノートの成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 13:58 UTC 版)
しかし、国務省極東部で検討・修正が重ねられた結果、日本軍の(少数師団の)満州駐兵を認める項目、太平洋の米海軍力の削減、「1924年排日移民法」の廃止を議会に請願する、日本への20億ドルの借款などの融和的な項目は削除された。モーゲンソー案から基礎協定案(ハル・ノート)に受け継がれたのは、中国及び仏印からの全面撤退などの非妥協的な項目であった。 また、三国同盟については、11月22日基礎協定案で「日独伊三国条約の各条項は、日本により太平洋地域における平和維持に関する紛争に対して適用なきものと解釈すべきことに同意する」との項目が付け加えられた。最終案においては抽象的な表現になったものの、「三国同盟からの事実上の離脱を明文化」したものであった。 なお、11月22日の基礎協定案では、日本軍の全面撤兵の項目には「中国(満州を除く)」との明記があり、モーゲンソー案第3項は「日中両政府に対して、満州の将来の地位に関し平和的交渉に入るべく示唆すること」との表現となって取り入れられていた。しかし、最終案では満州問題の平和的交渉を示唆する項目は削除され、さらに「(満州を除く)」という文言も削除された。
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