ハプキドーの名称
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/19 19:56 UTC 版)
日本では1942年(昭和17年)、大日本武徳会が「合気道」という名称を制定する。この段階では植芝盛平はまだ大東流、あるいは植芝流、旭流などを称していた。(財)皇武会を(財)合気会に改めるのが1948年(昭和23年)で合気道(Aikido、あいきどう)を名乗るのはこのころからである。 一方チェは当初自らの武術を柔 [要曖昧さ回避](Yawara)と称していた。次第に柔術(Yu Sul)、柔拳術(Yu Kwon Sul)、合気柔拳術(Hap Ki Yu Kwon Sul)と名乗るようになる。1958年(昭和33年)、やがて普及していくのに合気柔拳術では長すぎる、との意見から武道をあらわす「do(道)」をつけてハプキドー(Hapkido、合気道)を名乗るようになる。これには崔龍述自身が創案したという説と、弟子である池漢載が創案して師の名誉のために譲ったとの説がある。 1960年代に入って日本からの輸入規制が緩和されると、日本の武術関連の書籍が韓国に入ってきた。そのとき初めて日本に「合気道」という武道があるのを知ったという。韓国側では名前の類似を避けるため、キドー(氣道、Kido)という名称に変更する。1963年大韓キドー会(Dae Han Kido Hwe/Korea Kido Association)が設立され、チェが初代会長に就任する。しかしチーは意見の相違から脱退し、1965年大韓ハプキドー協会(Dae Han Hapkido Hyub Hwe/Korea Hapkido Association)を設立する。この頃多くの団体が分裂、誕生する。 後にそれは合同され1973年大韓民国ハプキドー協会(Dae Han Min Gook Hapkido Hyub Hwe/Korea Hapkido Association)として韓国政府の認可を受ける。結局この時点でキドーの名称は消滅しハプキドーが韓国で定着する。
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