ハプキドーとの出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/17 03:34 UTC 版)
1940年、日本統治下の朝鮮北部・順川(スンチョン、現在北朝鮮の統治範囲)に生まれる。幼い頃に家族とともにソウルに移住した。黄仁植は少年時にタンスド(唐手道)に触れ、13歳からはハプキドー(韓国合気道)を学んで、ハプキドー創始者の崔龍述に師事した(乙支館道場のキム・ヒョンサン(Kim Hyung Sang)によれば、黄仁植の最初の師匠はキム・ヨンジン(Kim Yong-Jin)だったという)。16歳で黒帯が認められ、まもなく池漢載(チ・ハンジェ。「チー・ハンサイ」などの表記揺れがある)が統括する韓国ハプキドー協会本部に移った。ハプキドーの草創期、ハン・ボンス(Han Bong Soo)、キム・チョンソン(Kim Chong Sung)、ミョン・クァンシク(Myung Kwang-Sik)といった年長者たちがハプキドーの普及・拡大の中心に立っていたが、黄仁植は蹴りの能力で頭角を現した。1976年には韓国ハプキドー協会で7段の段位に昇り、本部道場の師範(chief instructor)になった。
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