ハプキドーの技術
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/19 19:56 UTC 版)
のちにハプキドーは蹴りなどの打撃技に投げ技、関節技を組み合わせたもので日本人が思い浮かべる合気道(あいきどう)とは似ても似つかないものしか残っていない状況になった。1988年の『格闘技通信』誌の韓国取材で上段回し蹴りを腕でキャッチしてからのカーフスライサー、後ろ回し蹴りの相打ちからのカーフスライサーの演武をハプキドーの道場生が披露している。前者は取材の直後、プロレスUWFでの異種格闘技戦で前田日明がジェラルド・ゴルドーに勝利した技である。後者は同誌は、おそらく他の武術には見られない技法、としている。中段回し蹴りを腕でとらえ大内刈からの逆エビ固めも披露している。同誌は日本の合気道を「柔なる力」とするならハプキドーは「剛なる力」だとしている。総合格闘技の影響か、投げ技から寝技に移行する演武も見られる。ハプキドーは軍隊などでも指導されており、実戦を追求して日々変化している。 しかし写真などから見る限り 、崔龍述が指導していたのは日本の合気道や大東流に近い技に見える。ハプキドーをこの形にしたのは弟子の池漢載(チー・ハンチェ、Ji Han Jae)(1936年~)だといわれている。チーはアメリカなどではハプキドーの創始者として紹介されることもありGrandmasterやDoju(=道主)と呼ばれることすらある。 チーは13歳(1949年)のときにチェの門下に入った。テコンドーや長棒術、短棒術を研究し自らの武術に加えていった。また呼吸法(瞑想法)を研究し、独自のスタイルを確立した。1958年(22歳)には自分の道場を設立し、ソウルに進出する。1962年(26歳)チーの武術は韓国の軍隊、及び大統領府のセキュリティサービスに採用され、彼自身大統領のボディガードに任命される。
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