ハフセイとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 人名 > 三国志小事典 > ハフセイの意味・解説 

法正Fa Zheng

ホウセイ
(ハフセイ)

176220
尚書令護軍将軍蜀郡太守・翼侯

字は孝直扶風郡郿の人。

飢饉襲われたため故郷離れ同郡出身孟達とともに益州赴いて劉璋仕えたしばらくして新都県令、のち呼び寄せられて軍議校尉任じられる用いられなかった。彼と仲が良かった張松劉璋器量に不満を持っていた。張松使者として曹操のもとに赴いたが、帰国して劉備と結ぶよう劉璋勧め、その使者として法正を推薦した。法正は劉備会見してその武略感嘆し張松とともに益州君主迎えんと密議練った

曹操漢中窺うとの情報が入ると劉璋恐怖したので、張松劉備迎え入れて彼に漢中奪取させるべきと勧め、法正が劉備のもとに赴いた。法正は密かに益州奪取進言した。劉備はこれに従って葭萌関入り劉璋軍を撃破し益州手中に収める。この攻略戦功績立て平定後、蜀郡太守・揚武将軍に任じられ首都統治作戦立案担当した。しかし不遇時代恨みを晴らすため些細な罪にこじつけて人々殺害し莫大な功績立てていたため諸葛亮でさえ彼を制止できなかった。

建安二十二年(二一七)、劉備漢中征服進言し、これを劉備採用して法正を伴って漢中進軍。同二十四年、劉備軍が定軍・興勢に囮の陣営構築する夏侯淵がこれを襲撃した。機を逃さず「撃つべし」と言上すると、劉備黄忠命じて夏侯淵軍を攻めさせ、黄忠夏侯淵首級挙げることができた。

建安二十四年(二一九)に劉備漢中王に就くと尚書令護軍将軍昇進したが、翌年四十五歳で逝去した。劉備何日ものあいだ涙を流して泣き彼に翼侯と諡した。これは劉備による唯一の追諡である。法正は諸葛亮劉巴李厳伊籍協力して蜀の法律蜀科」を制定している《伊籍伝》。

参照伊籍 / 夏侯淵 / 黄忠 / 諸葛亮 / 曹操 / 張松 / 孟達 / 李厳 / 劉璋 / 劉巴 / 劉備 / 益州 / 葭萌関 / 漢中郡 / 興勢 / 蜀郡 / 新都県 / 定軍山 / 郿県 / 扶風郡 / 軍議校尉 / 県令 / 護軍将軍 / 尚書令 / 太守 / 揚武将軍 / 翼侯 / 諡 / 蜀科




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ハフセイ」の関連用語

ハフセイのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ハフセイのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
むじん書院むじん書院
Copyright (C) 2025 mujin. All Rights Reserved.

©2025 GRAS Group, Inc.RSS