ネーター、数から群へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 13:06 UTC 版)
「ホモロジー (数学)」の記事における「ネーター、数から群へ」の解説
ホモロジー群の概念はエミー・ネーターにより見出された。ある伝承によれば、それは1926年、アクサンドロフとハインツ・ホップ(英語版)がレフシェッツ不動点定理の証明の難しい部分について研究していたときのことであったという。彼らがこれについてネーターと議論したとき、ベッチ数ではなくホモロジー群を考えその群の適当な自己準同型の跡を考えれば証明が分かりやすくなることを彼女が指摘したという。また別の伝承によれば、彼女はベッチ数とねじれ係数(torsion coefficients)はあるアーベル群の標準的な不変量と見るべきもので、そのアーベル群こそがホモロジー的連結度の概念的定式化のための適切なツールだと単に見抜いたとされている。他の説によれば、それは1925年のことであったという。彼女がドイツ数学会の年次報告で有限生成アーベル群の構造定理のベッチ数とねじれ係数への応用について言及し、そしてゲッティンゲンの講義においてホモロジーとは単にベッチ数やねじれ係数ではなくアーベル群なのだと指摘したという。彼女は、研究の主眼はホモロジー群に置くべきだと強調したと伝えられている。今となっては何が真実か定かではないが、はっきりしていることは、ネーターが1925年に有限生成アーベル群の構造定理のベッチ数・ねじれ係数への応用について言及したこと、1932年のアレクサンドロフの本『Elementary Concepts of Topology』の中でホモロジー群が使われていること、1935年のアレクサンドロフとホップの共著『Topologie』の序文でネーターの助言に対して謝辞が述べられていることである。 また、これと独立に、レオポルト・ヴィートリスとヴァルター・マイヤーも1925年から28年にかけてホモロジー理論を発展させている。これより前の時代には、組合せ位相幾何学においてホモロジー類にあたるものはアーベル群をなすとは考えられていなかった。ホモロジー群の急速な普及により、用語が変更され、「組合せ位相幾何学」の立場から「代数的位相幾何学」への移行が起こった。
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