ネメアー競技祭とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > ネメアー競技祭の意味・解説 

ネメア祭

(ネメアー競技祭 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/16 02:46 UTC 版)

ネメアーにあるスタジアム

ネメア祭(ねめあさい[1]Νέμεα,Νέμεια:Nemean Games)は、古代ギリシアにおけるネメアーで開催された全ギリシア的大祭。古代オリンピックイストミア祭ピューティア大祭と並んでギリシア四大大会の一角を占める。ネメア大祭ネメア競技会とも呼ばれる。

ネメア祭は、古代オリンピックとピューティア大祭の行われない年に(イストミア大祭と同様に、二年ごとに)開催された。古代オリンピックと同じく神々の王ゼウスの栄光を祝う大祭であった。したがって、古代オリンピックと類似点も多く、競技役員をヘラノディコスと呼ぶことや、開催期間中に聖なる休戦を行ったことも同じである[2]

神話

アポロドーロス[3]パウサニアス[4] によれば、このネメア祭は、リュクールゴスとエウリュディケーの幼い息子オペルテースの死を記念してテーバイ攻めの七将が設立したものだという。テーバイ攻めの七将がネメアーに着いた時、喉が非常に渇いていたので、水を求めた。オペルテースの乳母であったヒュプシピュレーは、これに応えて彼らを近くの泉に案内した。その間、幼子のオペルテースを草原に放置してしまった。ヒュプシピュレーは「子供が歩けるまでは地面に置いてはならない」という神託を受けていたのであるが、それを忘れてしまっていた。ヒュプシピュレーが帰ってきた時には、オペルテースは大蛇(またはドラゴン)によって食い殺されてしまっていた。これを見た七将は、大蛇を退治し、オペルテースを供養するために競技会を開催した。

また、ヘーラクレースネメアーのライオンを退治した記念に開催したという説や、テーバイ攻めの七将によって設立されたネメア祭を、ヘーラクレースが一新し、ゼウスの栄光を讃える競技会にしたという説もある。

歴史

紀元前6世紀頃(紀元前573年)には存在したことが確認されている。最初、ネメア祭は戦士のための競技会であり、戦士たちやその息子たちのみが参加を許された。しかしその後、ネメア祭は全ギリシア人に開放された[5]。この競技会はクレオナイとプリウスの木立の間で執り行われた。

種目は多様であり、アポロドーロスによれば、競馬、重装歩兵走り、レスリングボクシング、戦車レース、槍投げ弓術、更には音楽コンクールまで行われていたようである。

勝者へ贈られる賞品は、最初は古代オリンピックと同じくオリーヴの冠であったが、後にアルゴスから持ってきたセロリの冠になった。審判は黒衣を纏ったとパウサニアスは伝えている。

ネメア復興競技祭

1995年に設立されたネメア競技復興協会により、1996年にネメア競技祭は復興された[6]。以後4年ごとに開催されている[6]

脚注

  1. ^ ネメア祭(ねめあさい)とは”. コトバンク. 2015年10月26日閲覧。
  2. ^ フランソワ・シャムー、桐村泰次訳『ギリシア文明』論創社
  3. ^ アポロドーロス、高津春繁訳『ギリシア神話』岩波文庫
  4. ^ パウサニアス、馬場恵二訳『ギリシア案内記』岩波文庫
  5. ^ ピンダロス『ネメア祝勝歌』3歌
  6. ^ a b 真田久、宮下憲、嵯峨寿「アテネオリンピック 2004の文化的側面 (<特集 アテネオリンピック・パラリンピック>)」『体育科学系紀要』第28巻、筑波大学体育科学系、2005年3月、129-139頁、CRID 1050282677523573504hdl:2241/11385ISSN 038671292022年9月16日閲覧 

関連項目


ネメアー競技祭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 07:03 UTC 版)

テーバイ攻めの七将」の記事における「ネメアー競技祭」の解説

アルゴス勢はリュクールゴス王の治めネメアー至り求めたリュクールゴスの子オペルテースはまだ幼児ヒュプシピュレー乳母として養育していたが、ヒュプシピュレー七将たちを泉へ案内している間に、残されたオペルテースは大蛇殺されてしまった。アムピアラーオスは、これは未来を告げ不吉な徴だと指摘し殺され幼児をアルケモロス(「非運始めた者」の意)と呼んだアルゴス将たちはオペルテースに弔意を示すためにネメアー祭競技会開いた。この競技会で、アドラーストス競馬エテオクロス競走テュ-デウス拳闘アムピアラーオス跳躍円盤投げラーオドコス槍投げポリュネイケース相撲パルテノパイオス弓術それぞれ勝利した

※この「ネメアー競技祭」の解説は、「テーバイ攻めの七将」の解説の一部です。
「ネメアー競技祭」を含む「テーバイ攻めの七将」の記事については、「テーバイ攻めの七将」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ネメアー競技祭」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ネメアー競技祭」の関連用語

ネメアー競技祭のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ネメアー競技祭のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのネメア祭 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのテーバイ攻めの七将 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS