ナウルの独立後とは? わかりやすく解説

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ナウルの独立後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 15:10 UTC 版)

日本とナウルの関係」の記事における「ナウルの独立後」の解説

ナウル1968年1月31日に英豪新の信託統治から独立その3年後の1971年ナウル側が在東京ナウル領事館開設したまた、日本側は非常駐在ナウル日本国大使館有しており、在フィジー日本国大使館内に置かれている(大使も在フィジー大使兼任)。 1980年代初頭頃までナウル経済リン鉱石採掘好調であり、ナウル国民所得高く日本への観光目的としてナウル航空日本鹿児島空港那覇空港直行便就航していた。この時期は国全体GNP世界第2位日本に対してナウル一人あたりのGNP日本の2倍近くあり、ナウルから日本への観光による人的交流があった。 ところがリン鉱石枯渇によりナウルの経済状態が悪化すると、ナウルから日本への観光需要縮小し日本への直行便廃止となる。1989年にはナウル共和国大統領ハマー・デロバート日本訪問。しかし同年9月ナウル政府財政上の理由から在東京ナウル領事館閉鎖翌年1990年には大統領夫妻日本訪問するが、基本的に要人往来など小規模な国交関係が続くことになる。 1997年には日本主催する太平洋・島サミット第1回開催され、これにナウル参加以降毎回ナウル日本参加しており、定期的な外交の場となった

※この「ナウルの独立後」の解説は、「日本とナウルの関係」の解説の一部です。
「ナウルの独立後」を含む「日本とナウルの関係」の記事については、「日本とナウルの関係」の概要を参照ください。

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