トルネイドースとは? わかりやすく解説

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トルネイドース

(トルナドース から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/30 13:34 UTC 版)

ザ・トルネイドース
The Tornados
出身地 イングランド ロンドン
ジャンル ポップインストゥルメンタルロック
活動期間 1960年 - 1967年1975年
レーベル デッカ・レコードEMI
公式サイト thetornados.net
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ザ・トルネイドースThe Tornados[注釈 1]は、1960年代初頭に活動していたイギリスインストゥルメンタル・バンド。イギリスの名プロデューサー、ジョー・ミークのプロデュースの下、1962年に「テルスター」を爆発的に大ヒットさせた。

来歴

「テルスター」以前の活動

トルネイドースは、イギリスの名プロデューサー、ジョー・ミークがセッション・ミュージシャンを寄せ集めて、結成された[注釈 2]。結成当初はスタジオ・ワークだけを行っていたが、ブリティッシュ・ロック御三家の一人、ビリー・フューリーのバックバンドを担当するようになる。やがて独立し、レコード・デビューも行う。ジョー・ミーク作の「ラヴ・アンド・フューリー」でデビューを果たしたが、ヒットには結び付かず、失敗に終わった。

「テルスター」の成功

1962年、トルネイドースとミークに転機が訪れる。同年、テルスター衛星が打ち上げられ、それを記念してミークの手により「テルスター」が作られる。ある夜、自宅にいたミークは、突然神様から授かったかのようにメロディーを思いつき、それを忘れないために手元にあった灰皿にメロディーを書き殴り、そのまま自宅のスタジオのテープレコーダーで自らのハミングでメロディーを記録したという。当時、インストゥルメンタル・バンドには珍しい、オルガンが大部分のソロ・パートを担当するだけではなく、極めて機械的でスペーシーな音を出すクラヴィオリンという楽器が使われている(ただし、フューリーのライブスケジュールの合間の僅かな日程のレコーディングだったため正メンバーのロジャー・ラヴァーンがリードを弾く時間が無く、ミークの主力スタッフであるジェフ・ゴダードが後日演奏している)。それに加え、ミークの、時代を超えたミキシングにより、とても1960年代初頭に作られたとは思えない、極めて宇宙的な楽曲を、ミークとトルネイドースは創り上げてしまったのである。後に、スペース・ロックと呼ばれるジャンルをこの曲で作ったのである。

この曲はこの年の8月17日にまずイギリスで発売され、ちょうどスプートニク1号打ち上げから5周年となる10月4日、イギリス国内のチャート1位を記録、しかし快進撃はこれだけに留まらず、大西洋を越えたアメリカBillboard Hot 100でも12月22日[1]から3週連続1位を記録した。イギリスの歌手・バンドがアメリカのチャート・トップを独占したという快挙を成し遂げた瞬間でもある。ビートルズもアメリカのチャートに入る前のことである。結局、この曲は日本も含め全世界で500万枚以上を売り上げる大ヒットとなった。

ミークはこの「テルスター」以前にも、ジョン・レイトンの「霧の中のジョニー」をミキシング、プロデュースし、イギリスのチャートの1位を記録したので、「テルスター」は2度目の大成功とも言える。後にザ・ベンチャーズや、事実上ライバル視していたシャドウズ等、多数のグループにカバーされることとなった。

その後

「テルスター」の大ヒット後も、「グローブトロッター」や「ロボット」でヒットを飛ばす。また、後にミュージック・ビデオと呼ばれる、「スコーピトン・フィルム」も「テルスター」と「ロボット」で作っている。「ロボット」ではメンバーがロボットに扮し、演奏している。

ヒットが出ず、カッティーニ脱退後もメンバーを替え活動していたが、1967年解散。その後、1975年、ベラミー、バート、ラヴァーン、カッティーニの4人で「テルスター」を再録音している。

なお、「テルスター」発表当時のメンバーは最後のカッティーニが脱退した1965年にバート以外の4人が再集結し、ミークが権利を持っていたために「トルネイドース」の名前を使えず「ザ・ジェミニ (The Gemini)」名義でシングル「Spacewalk / Goodbye Joe」を発売している。発売に先駆けてジェミニ4号の飛行でアメリカ初の宇宙遊泳が行われており、グループ名とタイトル曲はこの計画にあやかったものと思われる。

「テルスター」録音時のメンバー

ザ・トルネイドースのメンバーは一定せず、メンバーの入れ替わりが顕著である。ここでは「テルスター」の録音時に在籍していたメンバーのみ記載する。

  • アラン・キャディ (Alan Caddy) - リード・ギター担当。1962年から1965年まで在籍。
    1940年2月2日ロンドンチェルシー生まれ。ジョニー・キッド&ザ・パイレーツのリード・ギターを務めた後、トルネイドースに加入。脱退後はプロデューサーやセッション・ミュージシャンとして、ダスティ・スプリングフィールドプリティ・シングスのバックを務めた。2000年8月16日死去。
  • ロジャー・ラヴァーン (Roger LaVern) - ピアノ、キーボード担当。1962年から1965年まで在籍。
    1938年11月11日ウスターシャーのキッダーミンスター生まれ。本名:Roger Keith Jackson。芸名の「ラヴァーン」はラヴァーン・ベイカーから取られた。ラス・コンウェイの様なピアニストになりたいと思っていたが、ミークから誘いを受け、トルネイドースに加入。1963年頃には「ロジャー・ラヴァーン&ザ・ミクロンズ」としての活動も行っている。脱退後はソーシャルワーカーを経て1972年にメキシコに渡りテレビやステージを中心に活動、「銀の狼」の異名を得るなど大人気を博している。1975年にイギリスに戻ってトルネイドースの仲間と再開した後、スクリーミング・ロード・サッチや元シャドウズジェット・ハリスのマネージャーを経てメキシコに戻り、1978年には48日20時間47分にも渡ってピアノを弾き続けるという世界記録を樹立している。しかし1980年代にデュピュイトラン拘縮を発症して右手が麻痺、手術のために一線を退いた。父親譲りの女たらしでもあり、生涯で披露宴のみで離婚した1回を含め8人の女性と合計9回の結婚を経験している(死去時の最後の妻マリアと2度結婚しているため)。その一方で慈善活動やチャリティーコンサートにも生涯尽力していたという[2]2013年6月15日死去。
  • クレム・カッティーニ (Clem Cattini) - ドラムス担当。1960年から1965年まで在籍。
    1938年8月28日、北ロンドンのストーク・ニューイントン生まれ。本名:Clemente Anselmo Arturo Cattini。セッション・ミュージシャンを経てアラン・キャディと同じくジョニー・キッド&ザ・パイレーツに加入。その後、トルネイドースに加入。「テルスター」録音時のメンバーの中で一番長く在籍していた。その後も、1967年にはジェフ・ベック・グループの結成メンバーやセッション・ミュージシャンとして数々のバックを務め、また、加入には至らなかったがレッド・ツェッペリンの結成に当たってドラマー候補にも挙げられている。1980年代にはトルネイドースの再結成にも参加している。

代表曲

  • 「ラヴ・アンド・フューリー」 - "Love and Fury"
  • テルスター」 - "Telstar"
  • 「グローブトロッター」 - "Globetrotter"
  • 「空を飛ぶ恋」 - "Ridin' the wind"
  • 「ロボット」 - "Robot"
  • 「ドラゴンフライ」 - "Dragonfly"

ディスコグラフィ

アルバム

  • 『テルスター』 - The Original Telstar – The Sounds of the Tornadoes (1962年、London) ※北米、豪周辺のみリリース。全米45位[3]
  • 『アウェイ・フロム・イット・オール』 - Away from It All (1963年、Decca)
  • We Want Billy! (1963年、Decca) ※with ビリー・フューリー。ライブ・アルバム。全英14位[4]
  • The World of the Tornados (1972年、Decca)
  • Remembering... the Tornados (1976年、Decca)
  • Away From It All (1994年、Deram)
  • The EP Collection (1996年、See for Miles)
  • Tornados Now (1997年、Startel)
  • Telstar (1999年、Castle Pie)
  • Science Fiction (2007年、Secret)

関連項目

脚注

注釈

  1. ^ 英語発音による。日本では「トーネイドース」「トーネイドーズ」「トルネイドス」「トルナドース」とも呼ばれる。
  2. ^ ジョー・ミークが、当時絶大なる人気を誇っていたシャドウズに対抗する意味も込めて結成された。

出典

  1. ^ 1962年12月22日付のビルボードHOT100ランキング
  2. ^ Roger LaVern” (英語). The Telegraph (2013年6月28日). 2025年7月30日閲覧。
  3. ^ Whitburn, Joel (1996). Joel Whitburn's Top Pop Albums 1955–1996. Record Research. pp. 787. ISBN 0-89820-117-9 
  4. ^ Official Albums Chart Top 20 | Official Charts Company” (英語). www.officialcharts.com. 2021年3月22日閲覧。

外部リンク




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