トルコにおけるスーフィー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/06 09:37 UTC 版)
「スーフィズム」の記事における「トルコにおけるスーフィー」の解説
19世紀においてスーフィズムの一大中心地となったトルコでは、20世紀初頭、ケマル・アタチュルクらが欧化政策を推進するなか、トルコ帽とヴェールの着用を法律で禁止するなどという施策とともに、ダルヴィーシュ(スーフィー)であることは違法とされ、スーフィーの教団は強制的に解散させられた。 昨今でもトルコでのこの事情は変わっておらず、スーフィーの代表的な行法として知られるズィクル(独特の呼吸と留意をもっての読誦)の声が外部に漏れるとそれは警察への密告を招くことがあり、やはり代表的な行法であるメヴレヴィー教団の「セマー(旋回舞踏)」は観光客向けのショーという名目でのみ許されている。白いスカート状の服を穿き、音楽に併せてくるくるくるくると回り続けることで神に近づくという儀礼で、1時間以上回り続ける。 その一方で、ダルヴィーシュという言葉は、大きな斧や托鉢用の鉄なべを腰にぶらさげて各地を遍歴し、友愛の絆をもって結ばれた、精神的ながらも屈強で勇敢な男たちというイメージをもって受け止められることが多く、「ダルヴィーシュの冒険」などという題名の絵本やアニメがそれを物語っている。
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