トルコにおけるアレヴィー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/30 21:05 UTC 版)
「アレヴィー派」の記事における「トルコにおけるアレヴィー」の解説
アレヴィー派はアナトリア東南部を中心に一定の勢力を保っており、その信者数はトルコ国民の1割あるいは2割を占めるとされる。一説には3割を占めるともいう。オスマン時代にさまざまな弾圧を受けたほか、現在のトルコ共和国でも多数派のスンナ派から異端視されることがしばしばあり、「歴史的に二級市民扱いされてきた存在」と説明される。 1993年7月2日、スィヴァスで開催されたピール・スルタン・アブダル祭に招待された知識人たちが滞在していたマドゥマク・ホテルが、反アレヴィー派のデモ隊により放火され、33名の招待客、2名のホテル従業員、2名のデモ参加者の計37名が焼死するという事件も起こっている。 アレヴィー派はトルコにおいては宗教的・民族的マイノリティであることから、共和人民党などの世俗主義派や改革派を支持する傾向がある。トルコにはアレヴィー派を巡る政治問題も存在し、ジェムエヴィ(英語版)と呼ばれるアレヴィー派の宗教施設の法的地位や、学校の必修科目である宗教科目の扱いなどが課題となっている。
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