トリオ・デルフィネス時代
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「チューチョ・デ・メヒコ」の記事における「トリオ・デルフィネス時代」の解説
1952年に、チューチョは兄のホセと友人のレナルド・サモレノとともにメキシコのコーラスグループ「トリオ・デルフィネス」(Trio Delfines)を結成する。このチームのリーダーはチューチョである。 当時はトリオ(3人組の男性コーラス)の全盛期で、揃いのソンブレロに粋なチャロと言う民族衣装で演奏するグループも多く、マリアッチとともにメキシコを代表する音楽グループの形であった。 その当時はほとんどのトリオがギター3台での演奏形式をとっていたが、トリオ・デルフィネスは多くの楽器を操り、ボレロからメキシコ民謡、南米のフォルクローレまで幅広く演奏するグループとして異色の存在であった。 1954年、メキシコの最大ラジオ局が主催するセミプロの為、登竜門のコンクールで一位を獲得し、そのラジオ局の社長自らが名付け親となり「トリオ・デルフィネス」は誕生した。 メキシコでの人気を不動のものにしたのち、南米各国で公演を行う。メキシコを訪問した各国来賓の為のレセプションなどで数多く演奏。メキシコ大統領の随員として、明国ホワイトハウスでも数回演奏。当時の米大統領ケネディ、ジョンソン大統領の前でも演奏をする。 日本へは1964年に初来日する。以降、17回来日しては、音協、民音などの全国公演、NHKテレビをはじめとして、ラジオやコマーシャルなどで活躍。ヨーロッパ、旧ソ連での公演も大成功を収める。 1986年にメンバーの一員であったホセが病に倒れ、トリオを解散する。数十年経過した今もメキシコのラジオからはトリオ・デルフィネスの歌声が流れない日はないというほどの根強い人気を保っている。
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