デーヴァパーラの治下での最盛期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 09:21 UTC 版)
「パーラ朝」の記事における「デーヴァパーラの治下での最盛期」の解説
ダルマパーラの息子デーヴァパーラの治世、パーラ朝は最盛期を迎えた。 デーヴァパーラは父ダルマパーラが北インドで敗北したのを見て、東部での足場を固めることにした。彼はアッサム地方とオリッサ地方北部に侵攻し、それぞれの王に宗主権を認めさせた。また、その勢力はネパールの一部にまで及んだ。 また、プラティーハーラ朝が弱小な王ラーマバドラであることを見て、デーヴァパーラは反撃に出た。ビハールからヴァーラーナシー一帯に至る地域はパーラ朝の領土になり、ガンジス川一帯に広大な領土が築かれた。次のボージャ1世はも東部に支配を拡大しようとしたが、デーヴァパーラによって阻止された。。 パーラ朝は東南アジアとも盛んに交易を行い、仏教を通した交流もあった。デーヴァパーラの治世もまた同様に信仰の篤い仏教徒であった。王の治世には有名なところではシャイレーンドラ朝からの使節が来訪し、目的は同王朝が建てたナーランダー僧院に5ヶ村を施与することにあった。
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