デ・ヴァレラのもとにおける新憲法
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「エイモン・デ・ヴァレラ」の記事における「デ・ヴァレラのもとにおける新憲法」の解説
1931年、英国議会はウェストミンスター憲章を通過させた。同法は英帝国を構成するすべての自治領(アイルランド自由国やイギリス連邦そのものも含む)に同等の権利を与え、新たに英連邦を発足させるものであった。英帝国と各自治領の間に依然として強い法的な連携はあったにせよ、これによって英国本国と自治領との間の関係性は大きく変質し、各国は事実上の独立を果たすことになった。1936年7月、デ・ヴァレラは王に任命されたアイルランド首相という立場から英国王に書簡を送り、新憲法を準備中であると伝えた。その中で新憲法の骨子が「総督」に代わって「ショールスタット・エレンの大統領」という新しい地位を導入することにあると述べている。「ショールスタット・エレンの大統領」はまもなく「アイルランド大統領」に言い換えられ、デ・ヴァレラによってアイルランド語で「アイルランド憲法」を意味する「ブンレアハト・ナ・エレン」 (Bunreacht na hÉireann) と名づけられた新憲法の柱となった。 この憲法の中にはデ・ヴァレラの考える「憲法的土着性」(Constitutional Autochthony) といわれる法的な形を持った民族主義が盛り込まれていた。それは以下のようなものである。 「エール」という新国名。 アイルランド島は本来1つの領域であるとし、イギリスによる分割の不当性を主張。 英国王と王の任命による総督に代わり、アイルランド大統領がアイルランドの最高権力者となること。 長い間イギリスによって差別され、抑圧を受けたカトリック教会へ特別な地位を与えること。 離婚の禁止などカトリックの結婚観の法制化。 英語と並んでアイルランド語を国語とすること。 ドイル・エアラン(上院)、ティーショック(首相)など公式用語にアイルランド語を積極的に用いること。 このような「憲法的土着性」を示すことで、アイルランドはカトリックでもないし、国教会派でもない、ゲール同盟派でも王党派でもないという新方向を志向することができた。
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