デペッシュ・モード結成
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「マーティン・ゴア」の記事における「デペッシュ・モード結成」の解説
1980年にヴィンスの学友であったフレッチことアンドリュー・フレッチャーと出逢う。ヴィンス、フレッチと共にデペッシュ・モードの前身となる"Composition of Sound"を結成。結成当初はヴィンスがボーカルとギター、マーティンがキーボード、フレッチがベース担当だった。やがてヴィンスの勧誘によりデヴィッド・ガーンが加入、バンド名もDepeche Modeと改名する。 その後バンドはミュート・レコードのダニエル・ミラーに見出され、1981年にデビューする。デビュー当時、バンドの作詞・作曲はヴィンスがメインで行っていたが、かねてよりプロモーションとツアー活動に不満を抱いていたことから同年に脱退。以後バンドの楽曲のほとんどがマーティンの作詞・作曲によって手掛けられていくこととなり、この件が彼の才能を開花させるきっかけとなった。作風もそれまでのポップな明るいサウンドから陰影に富んだ叙情的なものへと変化し、以降のバンドの音楽性に多大な影響を与えていく。脱退時にヴィンスは「マーティンは、僕よりも優れたソングライターだから大丈夫さ」との言葉を残してバンドを去るが、当のマーティンは「自分自身の曲を信じなければいけなくなったんだから、プレッシャーは凄かった」と眠れぬ日々が続いたことを告白している。 なおデペッシュ・モードは2017年までに14枚のオリジナルアルバムと数多くのシングルを発表。それらの総数が9000万枚近い売り上げを記録し、今もなお活動している。近年は4年に1度のアルバム発表と2年近いライヴツアーを行うサイクルを繰り返している。 ギターは主にグレッチ製の物を使用。また各アルバムにて、平均して2曲前後メイン・ボーカルを務めている。
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