デペッシュ・モードでの貢献
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/01/24 06:27 UTC 版)
「アラン・ワイルダー」の記事における「デペッシュ・モードでの貢献」の解説
1981年、ヴィンス・クラーク脱退後のデペッシュ・モードがメロディ・メーカー誌に貼り出した新キーボーディストの募集広告を見たアランは広告に応募する。バンドは広告に21歳以下という年齢制限を課しており、アランは年齢を詐称したが(実際は当時22歳)、音楽的素養を見込んだバンドはアランを採用。1982年1月にツアーメンバーとして起用されるようになり、その後のレコーディングにも参加。1983年の3rdアルバム『コンストラクション・タイム・アゲイン』、1984年の4thアルバム『サム・グレート・リウォード』ではアランが作曲した楽曲も収録された他、アレンジやエンジニア、プロデュースでも才能を発揮し、演奏・作曲・制作においてバンドに欠かせない存在になっていく。1990年の7thアルバム『ヴァイオレーター』からはドラム演奏も担当、1993年のワールドツアー「デヴォーショナル・ツアー」で生ドラム演奏を披露した。
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