ディマシュキーによる記録とは? わかりやすく解説

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ディマシュキーによる記録

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 10:03 UTC 版)

ベトナムのイスラム教」の記事における「ディマシュキーによる記録」の解説

チャンパ王国占城国7世紀~1832)はヒンズー教印度教)を奉じていたが、長期間三教印・仏・回)共存の期間を経て全面的にイスラム教回教)へ改宗した。ディマシュキーの『コスモグラフィー』(1325-1327ごろ)に採録されたイスラム伝道に関する伝承によればイスラム帝国正統カリフ時代第3カリフウスマーン・イブン・アッファーン650年に唐に使節送った際、唐の入り口にあったアッ・サンフ(チャンパ)にイスラム伝えられた。7世紀末には、アリーユーン派の人々が、中国へ向かう経路途中にあるアッ・サンフ(チャンパ)に停泊地複数作ったいう。ディマシュキーによる記述のほかに、イスラム教伝来を示す最古物的証拠は、約300年後600年後、10世紀末から13世紀にかけての、占城人(チャンパ人)の間にイスラム教広がっていたことを示す宋朝期の占城朝貢使節名簿アラビア語の名前)と、海南省三亜市への移住伝承天方古墓にある宋末元初文字)、ニントゥアン省ファンラン郊外発見されアラビア語碑文である。14世紀以降インドシナ半島マレー半島、ジャワなどにおいてイスラム化進行したムスリム商人活動により、インドシナ半島マレー半島との間、インドシナ半島ジャワ島の間で交流盛んになると、イスラム教チャンパからジャワへ、マレーからチャンパカンボジアへ、相互に影響与えあうようになる

※この「ディマシュキーによる記録」の解説は、「ベトナムのイスラム教」の解説の一部です。
「ディマシュキーによる記録」を含む「ベトナムのイスラム教」の記事については、「ベトナムのイスラム教」の概要を参照ください。

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