占城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 15:36 UTC 版)
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占城(せんじょう、ベトナム語:Chiêm Thành/ 占城)は、現在のベトナム中部に存在したチャム族の国家。
占城という漢字国号の語源であるCampapura, Campanagaraが碑文に現れるのは7世紀であるが、中国史料では800年ごろまでは古代以来の国号である林邑または崑崙の名で呼ばれ、旧州新州上源州の三州と属国賓童龍国で構成されていた。
サンスクリット碑文では7世紀以降Campapura, Campanagaraと書かれ、こんにちのチャム族もその故国をNagar Cam(ヌガンチャム)と称する。1693年に広南阮氏によっていったん征服され、1695年に再興されて以降、1832年の直轄化まで、ベトナムの漢文史料では順城鎮(順成鎮)と記された。
脚注
占城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 09:12 UTC 版)
ベトナム人勢力によって、現在のベトナム南部の一隅に押し込められていたチャンパ王国である。
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